家事と仕事を通して、お母さんとお父さんを理解しよーとするんを、やめよー!

朝にあげた

こちらのブログ
FBの方で、コメントを
いただきました!
「家事を、お母さんが
    死にそうになりながら
    やってたので、嫌いになりましたー」
って、書いてくださいました
そうなのそうなのーーー*\(^o^)/*
と、思ったの。
あのね。
基本
両親を理解したいのが
子どもなのよね^ ^
なので、大きくなって
お母さんが
どーして、身体弱ってるのに
死にそーになってるのに
家事をやっていたのだろう?
お父さんが、死にそうになりながら
家族のため!って言いつつ
戦場に赴く、兵士のような
顔をしながら仕事に行くのだろう?
そこに、興味をもっちゃう
だって、大好きだから
(子どものこころね)
理解したいから、真似をする
(NLP的に言うと、ペーシング
 ミラーリングというものですな^ ^)
でね。
大人になって、やるのよ
死にそうになる状況を
「わざわざ作って」それでも
家事をやる!
もしくは、
反抗的決断っていうんだけど
まーーーったく、やらない
だって、家事はお母さんを
痛めつけたんだもん!
だってわたしは
お母さんを救えなかったんだもん。
家事をやると
お母さんを救えなかった
わたしを思い出すんだもん!
てな感じで
ただ、皿を洗うだけ
ただ、掃除をするだけなのに
おえおえしちゃう(u_u)
くるしいよね。
お仕事いくのも
しんどい仕事を
わざわざ選ぶ
お父さんを理解したかった
もしくは、お父さんの敵討ち
お父さんが!仕事にやられたなら!
そのあだ!俺が撃ってやる!
父のかたきーー(゚Д゚)!
みたいになる
で、疲弊して、疲弊して
ほんまに、やりたいことではないから
へとへとに疲れて
それでも、父のかたきーー
だから、やめれない
どちらのケースも
お父さんとお母さんを
こころの中から
解放してあげなきゃね
解放してあげるのは
自分の仕事。
「わたし」として
仕事にであう
「わたし」として
家事に出会う。
なぜ、それをやるのか?
楽しい人生をおくるため
なぜ、それを選ぶのか?
オリジナリティーあふれる
自分をクリエイトするため
眼に映るものを
美しくしたい
簡潔に、自分の人生を選べる
自分になりたい
潜在アワ量を増やしたい
だから、家事をやる。
なりたい自分の状態があり
そのなりたい自分になりたいから
その手段として
仕事を選ぶ
そのためのツールとして
仕事を創る。
まずは、わたし
わたしとの出会い。
そこから、外界への働きかけなの
で、わたしと出会うために
まず、お母さんとお父さんに
期待することをやめる
お父さんとお母さんが
やってた反対をやってみる
家事も仕事も
自分のためにやる
それは、かっこいい自分に
なりたいから
しあわせな自分に
なりたいから
その「しあわせ」を決める基準は
すべて、自分がにぎっているのだから
^ ^