感情を感じる。ってことの本当の意味だよー

性 愛パートナーシップの専門家

田中みっちーです
覚え書き、メモのような内容ですよ
事象があって
そこへの解釈があって
そして、感情がおこり
行動がある
こーゆーことね。
で、多くの人の悩みは
事象=自分である
という誤解や
感情=自分である
という誤解があるのだけど
ここは、切り離す必要がある
そこで、客観的に自分を見る
ディソシエーションもいう技術が
必要なのである
これは、鳥の目線とも言われてて
いまの、この状況、感情から
離れて…
もしも100年後には、この問題は
なんともないよね?
とか、どーせ、解決できるし
みたいな…
どーっぷり、浸らない目線は
めちゃめちゃ必要なのだけど
問題の状況下の中で
起こってる感情を感じつつ
それでいて
客観的視点を持っていると
感情を感じる
と、客観的(メタ)視点の両方が手に入る
でね。感情を感じるを
つまらんものにしてしまうとだな
これもまた、無意識層の癒しは
起こらんのよね
でさ。観念の書き替えも、厳密には
出来ないのな。
だからな。
「がんばって」も、現実かわらわと
なるわけだな
(戻されるってわけ)
楽に簡単に人生は、進むのよ
それを、手にしたい場合は
感情を感じ切ること
感情を感じるというのも
それが、起こった元の場所を
許していくことが大切で
そーして、いまここの感覚と
ほんで、客観的視点と
という。
まさに、いろんな視点を
同時並列的に発生させる
ってことが、日常的に出来れば
人生は、破壊的に加速する
にっちもさっちもいかねー
そんな世界から
世界に、叶わんことはない
と、思うここまで
経験してみて
わかることだな
**
あ!もひとつね!
ほんで
人に偉そーに言いつつ
自分のことは、見えないのが人間である
ってのも、あるのよね(笑)